子供たち LIFE AND KIDS

パパです。ほとんどママですけど。共働き子供二人のライフスタイル。

HELLO HELLO Bonjour Ciao!

(長文) 頭髪とお医者さま

およそ月に一度ほどの頻度で、定期的に通う用事(用事だと?病気だろう。)で、近所の割といつも好いているお医者さんを受診しています。

K先生は、だいたい60歳代に見える方で、患者さんも高齢者中心です。子供の頃から知っている、あの、町医者の雰囲気と匂いがありました。

もちろん、紙のカルテです。K先生は、いつもBICのボールペンを使っています。BICのボールペンは私も大好きです。もともと消化器外科の出身だったようで内視鏡の検査もやっているようです。

人間味があって、受診しやすい先生です。医師の先生方について思うのですが、ある一定の年代を境目として、「個性のある、または人間味のある、自らの意志によって動いている先生がいる」と「患者に対する姿勢が均一化されている、個性が隠されている、白衣をまとったら公の私であり素顔の私とは別人である。決まりや制度に沿って全てを判断しているのですという雰囲気の醸し出し。」に分かれるような気がしています。

個性はあるにせよ、後者の枠のなかでの個性のような気がします。

K先生は、そんな昭和な生き残りの貴重なドクター感がたっぷりです。グラスいっぱい、いまにもこぼれそう。だって、白衣すら着ていませんから。ちなみに受付の方も着ていません。助手の看護師さんだけは、白衣を着ています。

ところで、先生のことが書きたかったわけでは、ありません。

先日受診した際、診察室に入るなり

「あれ~、いいね~。髪型かえたの。染めたの~。いいね~。」

と、言われたことを書きたかったのです。自分の親くらいの世代の先生に、髪型を褒められたのは新鮮でした。しかも受診しやすい先生とはいえ、雑談をしたことはありませんでした。
診察の間、なんども「うん、いいよ。」と褒めて下さいました。

「たまには、血圧も測ろう。」と、血圧計の風船ベルトを腕に巻きつける間にも、

「そんなんじゃあ、あっちこっちの女性から声がかかってたいへんでしょう。」とおっしゃられました。おや、先生は、私が独身だと思っているのかな、などと思いながら、「白髪隠しがエスカレートしたんですよ~。」などと申し上げ、他愛もない会話をいたしました。世代的に、独身だろうがなんだろうが関係ない価値観かもしれません。

そんな私はといえば、ちょうど髪型に困り、悩んでいるところでした。

実は、染めたのは数ヶ月前のことで、毛先に色が残っているだけなのでした。髪が短いので、毛先が全体を覆っており、黒毛が隠れているだけで、サイドはどうみても真っ黒なのです。当然、先生はそんなことはお気づきにならないかどうでもよいか、全体の印象として褒めてくださったのですが、私としては、染めた瞬間から分かっている、いつかは訪れるであろうプリン問題に悩んでいるのでした。

染めた当時は、あと少しで結べるくらいでした。それから一度、カットをしましたところ、ツーブロックのなりそこねの河童のような髪型にされてしまいました。あまりにもいやだったので1週間後にもう一度訪れで直してもらいました。その時は少しお安くしてくださったようです。利用したのは2回目で、人が面白いお店だったのですが、もう行かないかもしれません。結局、生まれて初めて自分の手で髪型を修正しました。

と、ということがあっていよいよ、髪型も乱れてきたし、色の問題も起きていて、いよいよどうしよう、と悩んでいたところでした。何をそんなに悩んでいるかといえば、それはもうお金です。お金しかありませんよね。そうですよね。髪への出費は抑えたいものです。では、なぜ数ヶ月前に染めたのかといわれたらそれは困ります。鬱屈とした日々に気晴らしの一滴を垂らしたく、衝動的にやりましたので。

そんな折、先生に褒められてしまったのです。

「これはもう、やるしかない」と思いました。

「人は見かけによらない」という言葉がありますが、私は常々、「こともある。」が抜けているよということを申し上げています。「人は見かけによらない、こともある。」のですが、ほとんどの場合「見かけによります。」し、「見かけで救われる命もある」とさえ考えております。

人様に、私が、まず、どちらかといえば好意的な方に傾いた認識をされるかどうか、その大切な第一歩は、見かけの印象以外でいったい何が影響しますでしょうか。(もちろん、所作や言葉遣いも含んだうえで「見かけ」ではございます。)

そう主張しておきながらも、生きる活力が一反木綿の私は、近頃、そのような部分をおざなりにしておりました。ぎりぎりの線で、子供たちが恥ずかしい思いをしないようにという程度に清潔感を保って生きておりました。たとえば「お前の父ちゃん顔にうんこついてるよなー、きたねえよなー。」などと言われないように。もっとも、私は潔癖症ですから、顔にうんこは絶対につきませんが。(ああ、そんな文字を打ちながらまだ潔癖症ではなかったと思われる若かりし頃、横浜市の動物園で当時長髪だった私のヘアーに鳥の糞を浴びたことを思い出しました。近くにいた赤ちゃんづれのご婦人がウェットティッシュを差し出してくれたことを思い出します。子供はおろか結婚すらしていなかった当時の私には気づくことはできませんでしたが、今思えば赤ちゃんのお尻拭きだったのではないでしょうか。糞をぬぐうのになんと適切なものでしょう。)

そんな最低限の身だしなみのみを意識してきた私が、乱暴な言葉でいえば「町医者のおっさん」という、その方に褒められることが一体おまえの人生においてどれほどの価値があるのだい?といわれてしまいそうな方からのお褒めの言葉により、「もうすこし積極的になりましょうかね」という気持ちが芽生えたのです。そう、おしゃれはいつだって気合い、お金のことは後は野となれ山となれ、です。

この文を書き始めたころはまだ髪は手付かずでしたが、先日、むすめのカットで初めて利用したお店がよい雰囲気だったので、私もそちらでカットとカラーをされて参りました。初利用のサービスの炭酸シャンプーも心地ようございました。およそ8000円、1436メキシコペソほどの代価でございました。

それ以来、まだ誰にも気づかれませんし、褒められもいたしませんが、気づいてくれそうな人も、褒めてくれそうな人も、日常のなかにはおりませんので、当たり前ですが、と、この日記を書きかけている間によく行くコンビニでは「髪かわったね~」と言われました。一体このどうでもいい作業に何日かけているのかは秘密です。

これからも、心の膿をふやさないための1つの事柄として、ヘアースタイルに気をつけていこうと思います。

次に訪れる、手入れをすべく時期にストレスを抱えなぬよう、お小遣いを備えておきたいと思います。という一文がすでにストレスかもしれませんが。